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Pontificio Istituto Missioni Estere
  カトリック・ミラノ外国宣教会(P.I.M.E.)では、日本に住む青年たちを対象として、「海外での体験学習」を開催しています。
異文化の価値観に触れるこの体験学習の様子をどうぞご覧ください。

体験学習の参加者

タイ・バンコクでの体験学習 2010

2010年8月23日~30日

分かち合えることと隔たりがあること

今回、タイでの体験学習では様々な体験をすることが出来ました。
日本で普段生活しているだけでは絶対に体験しえないことだったので、そこから感じたこと・考えたことも特別なものでした。少し大げさかも知れませんが、今まで生きてきた中で考えもしなかったことなので、今後の人生に少なからず影響するであろう貴重な体験でした。

体験学習では、貧しい人たちが住む地区でのボランティア活動と、ミラノ会が経営する児童養護施設での子供たちとの触れ合いを主に体験しました。
児童養護施設は男女でいくつかのホームに分かれていて、合わせると80人ほどの児童が暮らしていました。私たちはそこで、朝食は全員で、夕食は男女に分かれて食事をともにしました。朝早く朝食を済ませ、荷台を改造したトラックに乗り通学に付き添い、余暇は一緒に遊びました。
おそらくこれは参加したメンバー全員が感じたことかと思いますが、子供たちの笑顔がとにかく底抜けに明るい。「日本の子供たちに同じ笑顔は期待できないな」と思ったほどでした。
そんな希望に満ちあふれたような子供たちですが、シスターのお話によると、その施設に来るまでには様々な事情があるようでした。麻薬・アルコール中毒・育児放棄・賭博・売春・暴力・貧困・犯罪。子供たちは、これらの問題のどれかの現場で、見て聞いて感じて傷ついて、親元では暮らせないと判断されてそこにいるのでした。保護された児童の中には、わずか2歳で性的暴行を受けた子もいるというお話も伺いました。そのような「つらい」という簡単な言葉では言い表せないような背景を持ちながら、なぜこの子たちは笑うことができるのか、それもこんなに素晴らしいとしかいいようのない笑顔で。私はずっとこの疑問を持ちながら子供たちと接していました。

その疑問から、私たちと彼らは同じ地球で暮らしているわけですが、「何が共通していて、何が違うのか」という視点を持ちました。言い換えれば、「分かち合えることと隔たりがあること」について考えるようになったのです。例えば、わかりやすく身をもって感じたことでは、子供たちと接する時、お互いに言葉がわからないことに、当初は歯がゆさを感じました。言語という意味ではもちろん隔たりがあるわけです。けれど、面白いことの一つも言えなくても、肩車・おんぶ・ジェスチャーなどで遊ぶうちに、知らぬ間に楽しさを分かち合っていました。

今回の体験学習で最も気づかされたことに、「悩みの共通性」があります。ある日、私たちは養護施設の子供たちの出身地でもある、貧しい人たちが住む地区の一つへ、シスターに連れて行ってもらいました。失礼を承知で正直に言わせて頂くと、そこは私が今まで見て来た景色の中で一番汚い所のように感じました。「よく住めるな。」とも思いました。到着した直後は、地区じたいの雰囲気や、住んでいる人の目つきに危険なものさえ感じました。
私たちは、普段は女性たちが内職をするという作業場へ通されました。現地の担当者の方によると、その紙細工の内職がないと、売春をせざるをえない経済状態だということでした。そこに上がらせて頂き、シスターの通訳のもと、そこに住む方たちとお祈りと告白をしました。現地の皆さんは、意外にも快く受け入れてくれました。「努力していることと、うまくゆかないこと」といった内容を一人ずつ告白する時間があり、そこに住む方たちが実際にどのようなことで悩んでいるかを聴きました。
その中で私が印象的だったのは、ある中年の男性(記憶違いかも知れませんが、その方は入れ墨が彫ってありました)が「お酒をやめようと努力している。」と言ったことです。その直後、現地の担当の方や周りの方に何かきかれ、「けれど一週間に一度は飲んでしまう。」とうまくゆかないことも告白したのです。私はその時、日本人の中年男性との共通点を感じ、おかしさも覚えました。しかしすぐに思い直したのですが、シスターに事前にきいていたお話から察すると、おそらくそのタイの男性の一言の背景にはアルコール中毒や賭博などの悩みがあり、そこから神様の力を借りて脱け出そうと必死にもがいてる人のもので、私が一瞬想像した日本人男性のそれとはまったく重みが違うのです。これは「ああ、わかるよ、つらいところだね。」と安易に共感できるものではなく、そこに大きな隔たりを感じました。私が振り返り、ちょうど真後ろにいたその男性の目を見た時、強くそう思ったのです。
その話し合いの場で、現地の担当者の方が、「最後にあなたたちもシェアできるものはないか。もしくは何か伝えたいことはあるか。」ときいて下さったのですが、私はその時すぐに言葉が出てきませんでした。それは、その男性をはじめ、貧しい人たちの現状や悩みをきいてショックだったからではなくて、恥ずかしくなったからです。自分の「努力していることと、うまくゆかないこと」など、あまりに恵まれた環境下でのことなので、私が彼らの悩みを安易に共感出来ないのと同じく、きっとこの人たちには想像もつかないだろうと思ってしまったのです。その時発言出来なかったことが、この体験学習でもっとも後悔していることです。
その後、よく考えてみると、環境や生きている社会により悩みも様々であるから、想像もつかない部分や隔たりがあるのも当然で、それは仕方がないことだ。ただ、どんなものであれ「悩みがある」という事実じたいは共通していて、分かち合えるのではないかと思うようになりました。だから、悩みの告白の時は、恥ずかしがる必要はないし、軽視する必要もない、人の悩みを聴き理解することは大切ですが、わかりもしないのに無理に共感する必要はないと思ったのです。

体験学習も終盤になった頃、子供たちの笑顔についての疑問の答えも、自分なりに出たような気がしました。それはシスターの一言がヒントになりました。施設への道の曲がり角に案内板があるのですが、そこには矢印とともに “HOME FOR HOPE” と書かれています。シスターは施設の説明をした後に、その案内板について触れ、少しはにかみながら「子供たちの希望の家になることを目指している。」とおっしゃいました。その時、子供たちのあの笑顔は希望そのもので、想像も出来ないようなつらい思いや寂しい思いをして来たので、もう希望しか残っていない、「笑うしかない」のだと思ったのです。でも、その希望も、初めからあったわけでなく、神様の力で、神父様やシスター、スタッフの方が引き出したものなのだろうと感じました。
振り返って自分自身のことを考えると、笑顔になる時は、圧倒的に物質的な快楽によるものが多い気がします。笑顔一つとってもそこには大きな隔たりがあります。でも、希望を持つことは分かち合えるかも知れません。シスターのお話の中で、「ためにではなく、ともに。」というものがありました。比べものにならないほど恵まれた環境の中で、今回出会った方たちの「ために」何が出来るか、もしくは悩みを共感するということは、難しいかも知れません。けれど、希望を持つことやお祈りをし合うことは、いつでもどこでも「ともに」出来るかも知れない。今回の体験学習ではそんなことを感じました。

今回このような機会を与えて下さった、カトリック・ミラノ外国宣教会の神父様方、広い心で迎えて下さったシスターの方々、言葉のことなど何かと細かく気を遣って頂いたスタッフの方々、そして大切なことを気づかせてくれた子供たちや貧しい地区の方々、何かとお世話になりっぱなしだった神父様をはじめ行動をともにしたメンバーに感謝します。 そして神様がどのような意図でこのようなお導きをされたか、まだ私にはわかりませんが、心から感謝しています。現地の神父様がおっしゃっていたように、「自分がどうしたいかではなくて、神様が何を望んでおられるか。」に耳を傾け、無駄にしないようにしたいと思います。

メッセージ

「夢中」

ビアンキン・マリオ

日本管区本部

カトリック・ミラノ外国宣教会
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Fax: 042-371-9624
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本の紹介

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著者:ルイジ ソレッタ
    (ミラノ外国宣教会)
翻訳:横山 俊樹
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